ホームに戻る

No.42

新堂家の憂鬱・三


 服部屋敷に着いた穂高は、雄一郎と共に奥座敷に通され、雄一郎の隣に座って大蔵が現れるのを待っていた。その間も雄一郎は一言も喋らず、ただじっと床を見つめて何かを真剣に考えているようだった。
 程なくして奥の襖戸が開き、大蔵が入ってきた。その後に陣蔵と春が続いた。大蔵が雄一郎の正面に座り、その後ろを回って陣蔵が右手に、春はそのまま大蔵の左手に腰を下ろした。

「つまり、お前はこの娘を、儂に預かってほしいと申すのじゃな?」
 白髪交じりの顎鬚を撫でさすりながら大蔵は言った。神妙な面持ちで雄一郎は頷いた。
「俺は、これまで誰にも頼らず、誰にも迷惑をかけず、独りで生きていく、いける、いかねばならんと考えていた。だがそんなことは、どだい無理な話だったのだと、今日、嫌という程思い知らされた。俺はいつも誰かに助けられて生かされてきた。そんな当たり前のことに気がつくのに、二十五年もかかってしまった……」
「それを教えてくれたのが、その娘か」
 大蔵の言葉に雄一郎は深く頷いた。
「俺は、穂高と一緒になりたいと思っています」
 それを聞いた穂高は喜びに顔を輝かせたが、続く言葉に再び顔を曇らせた。
「だが、このままでは駄目だ」
「何故駄目なんだ、兄者!」
 それまで焦ったそうに聞いていた陣蔵が堪らず口を挟むと、大蔵が一喝した。
「陣蔵は黙っとれ!」
 雷鳴の様な声が障子をビリビリと震わせ、陣蔵は肩を竦めた。
「大人の話に子供が口を挟むな! お前が余計な口出しをしたせいで何がどうなったか、その娘の姿を見てようく反省せい。お前をここに呼んだのはそのためだけじゃ!」
 切り落とされて毛先が鋸刃のようになった穂高の襟足を見て、陣蔵はしょんぼりと項垂れた。
「何がどう駄目なの、雄一郎」
 春が陣蔵の気持ちを受けて代わりに尋ねた。
「俺が不甲斐ないせいで、穂高は親と絶縁してしまった。このまま穂高と一緒になるわけにはいかない」
 穂高が何か言いたげに口を開いたが、それを遮って雄一郎は続けた。
「親が生きていて、いつでも会える場所にいながら、気兼ねなく里帰りも出来ない。そんなことでは穂高を幸せにしてやるとはとても言えない」
「あんな父のことなんて私は……」
 親の話を持ち出されてムッとした穂高が、父への恨み言を口にするのを雄一郎は許さなかった。
「だが、お前の母はどうなる。お前を今日まで大切に育て慈しんでくれた母親の心を踏みにじったままで、お前はいいのか?」
 母と言われて、血の気を失った母の青ざめた顔を思い出した穂高は、父に似て激しやすい自分の性格を呪わしく思った。
「だから俺は、穂高の両親に許しを得られるまで、俺らは一緒になるべきではないと思う」
(そんな日が本当に来るのかしら……)
 穂高の胸は母への罪悪感と、雄一郎と結ばれぬかもしれない不安で張り裂けそうだった。
「それでお前は、この娘をどうすれば良いと思うておる」
 大蔵が尋ねた。雄一郎は、眼に涙をためてそれでも泣くまいと堪えている穂高がいじらしくて、今すぐこの手で抱き締めたいのを必死に耐えて、一呼吸置くと顔を上げて続けた。
「穂高は感情の起伏が激しく、頭に血が上ると後先考えず衝動的になってしまうところがあります」
 それは今の穂高の姿を見れば誰の目にも明らかだった。
「だからこの家で……、父上母上の元で、感情を抑える術すべを学ぶのが良いと思うのです」
 雄一郎がそう言った瞬間、緊張の糸が張り詰めた室内の空気が、ふっと緩むのを穂高は感じた。見ると皆一様に押し黙って考えを巡らしているようだが、どことなく嬉しそうに見えた。
 穂高が不思議そうな顔をしているのに気づいて、大蔵は咳払いをした。
「なるほど、娘はそれで良いかもしらん。だが雄一郎、お前はどうする。娘の両親に認められるために、お前は何をするつもりなのだ」
 そう問われると、雄一郎は唇を噛んだ。
「分かりません」
 と、絞りだすような声で答えた。

No.42  伊賀隠レ里異聞小説本文