No.40
新堂家の憂鬱・一
おづの山の
床入儀
(
とこいりのぎ
)
騒動から半年ほど経ったある日、『新堂武術道場』の門前に、伊賀の里の長であり、雄一郎と陣蔵の父でもある服部大蔵の姿があった。
大蔵が門をくぐると、所在無さげに庭を掃く男がいた。男は大蔵の姿を見ると慌てて駆け寄り、膝をつくと
「恐れながら、主あるじはただいま留守にしております。御用件はこの私めにお申しつけくださりますれば、後々主に伝えます故……」
と言って頭を下げた。ところが言い終わらぬうちに
「おい
清士郎
(
きよしろう
)
、酒がないぞ!」
と、道場から声がしたので、清士郎と呼ばれた男の額に脂汗が浮かんだ。大蔵はホッホッホッと笑うと、
「主はたった今、帰ったようじゃな、では上がらせてもらうぞ」
と言って道場へ向かった。その背を見送ると清士郎は、
「姉上、姉上!」
と呼びながら母屋へ走っていった。
娘に縁を切られてからの穂高父、新堂少太郎は最悪であった。
(手塩にかけ育てた一人娘が、よりによって『外れの雄蔵』なんぞにたぶらかされて、その気になって床親娘の契りなんぞを結んだ挙句、弄ばれて捨てられたんだぞ。あの外れ野郎は「床娘は必ず親元に返すものだと思ってた」とかなんとか抜かしやがったが、そんな空々しい嘘を間に受けるほど俺は馬鹿じゃねえ。百ぺん切り刻んだって気が済まないってのに、娘は騙されたとも知らんで、髪を落として「俺とは親子の縁を切る」などと言う、そんな馬鹿な話があるか。虚しい、俺の人生は一体何だったんだ……)
そして少太郎は酒に溺れた。はじめは宵のうちだけだったのが、次第に日暮れ前から呑み始め、終いには日がな一日呑んだくれるようになった。道場の稽古も疎かになり、呆れた門下生は一人減り、二人減り、今では妻の弟、清士郎ただ一人が残るばかりだった。
(ああ面倒くせえ、いっそ道場に火でも放って死んじまおうか)
稽古場の真ん中にゴロリと横になった少太郎が、空になった徳利を弄びながら、そんなことをぐだぐだ考えていると、
「昼間から寝酒とは豪勢じゃのう」
と、上から声がした。顔を上げると、墨をたっぷり含んだ筆で力強く書いた八の字のような口髭が少太郎を覗き込んでいた。
「ほほう、これはこれは
村長
(
むらおさ
)
殿、こんなむさ苦しい所へようこそ。と言っても、今や人っ子ひとりおらず、小ざっぱりとしたもんですがな」
酒臭い息をまき散らしながら少太郎は大蔵に食ってかかった。
「して、今日は如何なる御用件ですかな」
(こいつの出来損ないの倅が、俺の自慢の娘をかどわかしやがったんだ。あんな肺病み上がりのろくでなしを何でのさばらせておいた。臥せってるうちに首を捻ってあの世に送ってやりゃあ良かったんだ。そうすりゃ、あの野郎が由緒正しいあんたの家に泥を塗ることもなかったろうし、俺の娘が食い物にされることもなかったんだ。畜生、畜生……!)
少太郎の目がみるみる据わっていくのを見て、大蔵はふんとため息をついた。
(今日はこの男を呼ぶのは無理じゃな。仕方ない、女房だけにしておこう)
「お主の門下生が近頃のお主を憂いておったでの、ちいと覗いてみたんじゃが。酒はほどほどにしておかんと身を持ち崩すぞ」
そう言って大蔵は少太郎に背を向けた。
少太郎の頬が怒りでぴくぴく動いた。腹の奥底から煮え滾るような怒りがふつふつと沸き上がり、少太郎は声を荒げた。
「誰れの所為でこうなったと思っていやがる、みんなてめえのどら息子の所為だろうが!」
怒りで声が上ずった。こめかみに太い青筋を立て、目を鬼のように吊り上げた少太郎は、よろよろと立ち上がると大蔵に掴みかかろうと手を伸ばした。
No.40
2015.5.4
伊賀隠レ里異聞
|
小説
|
本文
39
|
41
はじめに
1
伊賀隠レ里異聞
117
小説
21
本文
18
SHINOBINO LABO
22
キャラクター設定集
17
美術設定集
3
イラスト集
1
NIJI×NIJI
28
日高氏がやって来た!の巻
7
ヒトツヤマ・イン・トーキョー
1
なんかいろいろ
15
前世紀の遺物
2
風の音にぞ
2
邪鬼賀大戦
12
グリンの星
5
ハイスクール!
26
カスタムキャスト!
61
ムービー
21
サウンド
3
おづの山の床入儀騒動から半年ほど経ったある日、『新堂武術道場』の門前に、伊賀の里の長であり、雄一郎と陣蔵の父でもある服部大蔵の姿があった。
大蔵が門をくぐると、所在無さげに庭を掃く男がいた。男は大蔵の姿を見ると慌てて駆け寄り、膝をつくと
「恐れながら、主あるじはただいま留守にしております。御用件はこの私めにお申しつけくださりますれば、後々主に伝えます故……」
と言って頭を下げた。ところが言い終わらぬうちに
「おい清士郎、酒がないぞ!」
と、道場から声がしたので、清士郎と呼ばれた男の額に脂汗が浮かんだ。大蔵はホッホッホッと笑うと、
「主はたった今、帰ったようじゃな、では上がらせてもらうぞ」
と言って道場へ向かった。その背を見送ると清士郎は、
「姉上、姉上!」
と呼びながら母屋へ走っていった。
娘に縁を切られてからの穂高父、新堂少太郎は最悪であった。
(手塩にかけ育てた一人娘が、よりによって『外れの雄蔵』なんぞにたぶらかされて、その気になって床親娘の契りなんぞを結んだ挙句、弄ばれて捨てられたんだぞ。あの外れ野郎は「床娘は必ず親元に返すものだと思ってた」とかなんとか抜かしやがったが、そんな空々しい嘘を間に受けるほど俺は馬鹿じゃねえ。百ぺん切り刻んだって気が済まないってのに、娘は騙されたとも知らんで、髪を落として「俺とは親子の縁を切る」などと言う、そんな馬鹿な話があるか。虚しい、俺の人生は一体何だったんだ……)
そして少太郎は酒に溺れた。はじめは宵のうちだけだったのが、次第に日暮れ前から呑み始め、終いには日がな一日呑んだくれるようになった。道場の稽古も疎かになり、呆れた門下生は一人減り、二人減り、今では妻の弟、清士郎ただ一人が残るばかりだった。
(ああ面倒くせえ、いっそ道場に火でも放って死んじまおうか)
稽古場の真ん中にゴロリと横になった少太郎が、空になった徳利を弄びながら、そんなことをぐだぐだ考えていると、
「昼間から寝酒とは豪勢じゃのう」
と、上から声がした。顔を上げると、墨をたっぷり含んだ筆で力強く書いた八の字のような口髭が少太郎を覗き込んでいた。
「ほほう、これはこれは村長殿、こんなむさ苦しい所へようこそ。と言っても、今や人っ子ひとりおらず、小ざっぱりとしたもんですがな」
酒臭い息をまき散らしながら少太郎は大蔵に食ってかかった。
「して、今日は如何なる御用件ですかな」
(こいつの出来損ないの倅が、俺の自慢の娘をかどわかしやがったんだ。あんな肺病み上がりのろくでなしを何でのさばらせておいた。臥せってるうちに首を捻ってあの世に送ってやりゃあ良かったんだ。そうすりゃ、あの野郎が由緒正しいあんたの家に泥を塗ることもなかったろうし、俺の娘が食い物にされることもなかったんだ。畜生、畜生……!)
少太郎の目がみるみる据わっていくのを見て、大蔵はふんとため息をついた。
(今日はこの男を呼ぶのは無理じゃな。仕方ない、女房だけにしておこう)
「お主の門下生が近頃のお主を憂いておったでの、ちいと覗いてみたんじゃが。酒はほどほどにしておかんと身を持ち崩すぞ」
そう言って大蔵は少太郎に背を向けた。
少太郎の頬が怒りでぴくぴく動いた。腹の奥底から煮え滾るような怒りがふつふつと沸き上がり、少太郎は声を荒げた。
「誰れの所為でこうなったと思っていやがる、みんなてめえのどら息子の所為だろうが!」
怒りで声が上ずった。こめかみに太い青筋を立て、目を鬼のように吊り上げた少太郎は、よろよろと立ち上がると大蔵に掴みかかろうと手を伸ばした。