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No.35

服部雄一郎の過怠・九


 雄一郎は少太郎の前に手を突くと己の非礼を心から詫びた。
「私の様な不逞の輩の言葉など、信じてはもらえませんでしょうが、私は決して御息女を辱めるつもりでお返ししたのではありません。御息女に相応しい、然るべき方との婚儀が先にあると思ってお返ししたのです。私は真剣にその一助としての役目を果たしたつもりでおりました。しかし、それが斯様な事態を招くとは夢にも思わず、己の未熟さを深く恥じ入るばかりです。斯くなる上は、如何なる責めをも負う覚悟にございます。どうぞ御沙汰を。」
 毒気を抜かれた少太郎は、雄一郎に虚ろな眼差しを向け、ぼそりといった。
「失せろ」
「分かりました」
「二度と娘に近づくな」
「決して」
「死んでしまえ」
「はい」
 命じるたびに蒼白になってゆく娘の顔と、雄一郎を交互に見比べ、少太郎は地面に視線を落とし、
「そうして結局、俺は娘を失うのだな……」
と、弱々しく呟いた。
「生きるも死ぬも好きにしろ、穂高とは……もう親子の縁は切れておる」
 少太郎はよろよろと立ち上がると気を失っている弓の頬を軽く打って起こし、
「帰るぞ」
 と言って雄一郎らに背を向けた。
「新堂殿、いま少し待ってはいただけませんか」
 春が口を開いた。
「このまま親子が別れてしまっては、余りにも惨いではありませんか。息子の失態は母である私にも責任があります、どうか、いましばらく時間をお与えくださいませ」
「時間?」
 春の言葉に、少太郎は目を眇め振り返った。

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