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No.26

服部雄一郎の過怠・序


 伊賀の里には、そこで生きる者たちが大人になる為に通らねばならない関門がある。それは、この里が隠里(かくれざと)となった古より連綿と続く通過儀礼である。


 天正九年(一五八一年)、第二次天正伊賀の乱を生き延びた伊賀忍者たちの一部は、秘密の抜け穴を通ってかくれ谷へ逃れ、外部へ繋がる道を閉ざして里を作った。以後四〇〇年にも及ぶ長い時の中、彼らだけで子孫を残していくために、それは必要不可欠な教えだった。
 その教えとは、男が妻を、女が夫を迎え、子を産み育てるために必要な知識、「男女の心身とその和合の教え」である。


 隠里の男子たちは、数え十五の年に男衆の集まりと呼ばれる集会に参加し、同性の年長者を師に迎えて自身と異性の心身についての教えを受ける。同じように女子はくノ一衆の集まりと呼ばれる集会で、数え十三の年に自身の、十六の年に異性についての教えを受ける。男衆の集まりを経た男子は、その後それぞれが成人女性に導かれて男となり、十六のくノ一衆の集まりを経た女子は床入儀(とこいりのぎ)を行い、ようやく一人前の男女として婚姻を許されるのだった。

 床入儀とは、十六のくノ一衆の集まりを終えた娘を成人男性が数日預かり、寝食を共にしながら夜の営みを教え、大人の女に導く儀式のことである。それを担う成人男性のことを床親(とこおや)、契約を結んだ娘を床娘(とこむすめ)と呼び、二人は擬似夫婦関係となる。通常、床親になるのは村の権力者や神職者、親戚筋の既婚男性だが、娘側から相手を指定することも出来、男が未婚の場合は床親からそのまま夫となることも多かった。


 こうして、伊賀隠里では親から子へ、子から孫へ、忍びの術と生きる教えが受け継がれ、外の世界とは全く異なる時間が、ただゆっくりと流れていった。

No.26  伊賀隠レ里異聞小説本文