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No.34

服部雄一郎の過怠・八


「父上、貴方という人は!」
 果たして、穂高は激昂した。
「二言目には家名、家名と言うけれど、人をそのように愚弄して憚らない厚顔無恥こそ、家名に恥ずべき行為なのではありませんか!? 私は、恥ずかしい!」
 娘に痛烈に批判され、少太郎も逆上した。
「黙れ、この恥知らずが! 俺はお前をそんなふしだらな女に育てた覚えはないぞ!」
 こうなってくるともう売り言葉に買い言葉である。
「上等です、父上。最早、親でもなければ子でもありません。今日を限り、私は貴方と親子の縁を切ります!」
 そう言うや否や、穂高は懐から小刀を取り出して、後手に掴んだ髪を元結からぶっつりと切り落とした。弓が卒倒し、忍が駆け寄った。
「これで新堂家に汚名を被せた人間は居なくなったはずです。それでもまだ雄一郎さんを斬ると言うのなら、私も腹を斬ります!」
 穂高は断ち切った髪を投げ捨てて啖呵を切った。

 敵わんな……と雄一郎は思った。俺はもうこいつには一生頭が上がらんかもしれん。だがそれも良いだろう、いや、それが良い。
 父と娘の容赦ない罵り合いに皆が呆気に取られる中、雄一郎は輝之に目配せすると、もう大丈夫だと口の動きで伝えた。輝之は小さく頷き、掴んでいた雄一郎の腕を、そっと離した。雄一郎は手にした飛苦無を懐に戻し、消えるようにその場から離れると、音もなく岩壁を這い上がり、頭に血が上って我を失った穂高の脇についと立って、その手から刃物を取り上げた。
「もうその辺にしておけ。でないと、お前より先にお前の母親が息絶えてしまうぞ」
 そう言って雄一郎はすうっと指を差した。その指の先に失神した母を見た穂高は、たちまち色を失った。
「輝之、縄!」
 雄一郎は輝之に縄を求めた。我に返った穂高は自分のしたことが急に恐ろしくなって身体が硬直してしまい、連れて壁を降りることは難しかった。おう、と応えて輝之が雄一郎の足元へ鉤縄を巻きつけた。
「助かる」
 そう言うと、雄一郎は穂高の腰をしっかり抱き寄せ、器用に縄を伝って地面へ降り立った。少太郎もまた先程までの気勢をそがれ茫然自失の態であった。輝之は
「もう良いですな?」
 と声を掛けると、少太郎の手から刀を取り上げ鞘に収めた。少太郎の手は力無く地べたに垂れた。

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