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服部雄一郎の過怠・二


 その頃、穂高は二人の出会いの場所で独り涙に暮れていた。

 一年前、十六歳のくノ一衆の集まりを直前に控えて穂高は悩んでいた。その集まりの日をもって、くノ一の修業は終わり、妻として、母として、女としての修業が始まることに、穂高は違和を感じていた。しかし周囲の女達に訊いても納得のいく答えは得られなかった。
 仕方なく独りで考えようと、穂高は村の者も滅多に近づかない「おづの山」に入った。すると、山間から幽かに刃が打ち合うような音がした。その音に誘われるように、穂高が峡谷の奥へ奥へと進んでいくと、そこに一日の修業を終えて滝に打たれている雄一郎がいたのだった。
 突然目の前に褌ひとつの男が現れたので、穂高は驚きの余り泣き叫んでしまった。だが、男はそんな穂高に半ば呆れながらも、親切に村境まで送り届けてくれた。途中で足を滑らせた時も軽々と抱きとめて助けてくれたのに、一言の礼も言ってないと気づいて穂高が振り向いた時には、もうそこに男の姿はなかった。
 村に帰って探ると、すぐに男が服部家の長男の雄蔵だということが分かった。翌日、穂高は雄蔵に昨日のお礼を言おうと峡谷に押しかけたが、こんなところに女子供がひとりで来るなと叱られ追い返されてしまった。しかし、その時、自分の名は雄蔵ではなく雄一郎だと教えてくれた。それから穂高の胸の内で、雄一郎の存在が日に日に大きくなっていった。

 突然現れた娘はまだ十六で、陣蔵と大差ない子供じゃないかと雄一郎は思っていた。こんなところにお前のような娘がひとりで来るもんじゃないと言っては追い返していたが、それでもちょくちょく顔を見せに来る穂高を、雄一郎も次第に心憎からず思うようになっていった。しかし、褌姿に興奮して癇癪を起こすようではまだまだ子供だ。男衆や、くノ一衆の集まりには意味があるのだな、などと思ったりもした。
 そんな小娘が、外れ者の自分を床親にしたいなど、親が反対するのは当然で、もし俺がお前の親でも同じことを言うと叱りつけた日もあった。だが、なんやかんやと丸め込まれて引き受けてしまった。引き受けたからには大人としてきちんと務めを果たさねばならぬ。儀式が終われば穂高は誰かの元へ嫁ぐのだろう。そうなればもう顔を合わせることもなくなる。寂しくないと言えば嘘になるが、元の静かな生活に戻るだけだ――
 穂高とのそう多くもない思い出を振り返るうちに、雄一郎は、ゆうべ穂高に名前を呼ばれて激しく動揺したのは、床親の義務を果たしているだけのつもりでいた自分が、心の底では穂高を愛おしく思い、自分も穂高にそう思われたいと願っていたからだと気がついた。穂高を帰した後も穂高の声が耳から離れず、心は千々に乱れ、強烈な思慕の念が募るのを、抱いた女への未練だと誤魔化して、日常に戻らねばと友人の元を訪ねたが、そこで穂高の真意を知らされ愕然とした。自分の愚かさが心底情けなかった。しかし穂高が家に帰っていないと聞いた瞬間、一も二もなく駆け出していた。
(探さねば、見つけねば、もうこの手に抱くことは二度と叶わぬ望みだとしても、己の心を伝えねば。だから穂高、早まらないでいてくれ――)
 雄一郎は心の中で穂高の名を祈るように呼び続けた。

No.28  伊賀隠レ里異聞小説本文


服部雄一郎の過怠・一


「私の床親になってください」

 桃の花もちらほらと咲き始めたある日、服部雄一郎(ゆういちろう)は、新堂家のひとり娘、穂高(ほだか)から床親になってほしいと申し込まれた。

 雄一郎は、即座にその申入れを断った。雄一郎は今年で数え二十五歳である。十八で男になった日から既に七年もの歳月が経つが、それからただ一人の女も抱いていない。手ほどきをしてくれた女からは、男として申し分なしとお墨付きをもらってはいたが、他人と、まして女と深く関わりあうのは御免だと、雄一郎は思っていた。

 頑として首を縦に振らない雄一郎を、穂高は請い、願い、訴え、挑発し、知りうる限りの言葉を尽くして説き伏せると、強引に床親を引き受けさせた。それは思い詰めに詰め、悩みに悩んだ果てに穂高がとった、一世一代の賭けだった。
 新堂家は、かつて伊賀忍術名人十一人の一人と言われた新堂小太郎(こたろう)を祖に持つ古い家柄である。穂高の父親の新堂少太郎(しょうたろう)はこの祖先を誰よりも誇りに思い、何より家名を重んじる男だった。そんな少太郎にとって、雄一郎は、服部とは名ばかりの落ちこぼれで、村の者にも『(はず)れの雄蔵(ゆうぞう)』などと渾名される半端者でしかなかった。
 そんなところに我が新堂家の娘を預けるのはまかりならんと気色ばむ父親に、穂高は雄一郎からの承諾は得ているのに、今更こちらから翻意するなど、我が家のみならず服部家にも恥をかかせることになるが、それでも良いのかなどと脅しすかして、渋々許諾を得たのだった。

 穂高は以前から、密かに雄一郎に想いを寄せていた。村に属せず、村外れの「ひとつ山」に独りで暮らす雄一郎は、村人からは忍びとしても男としても役立たずと揶揄されていたが、自分の知っている雄一郎は、そんな無能者だとはとても思えなかった。だが周囲を説得している時間がなかった。両親がいつ自分を床娘に出すか分からない、だから決死の覚悟で床親になってほしいと申し込んだのだった。そしてその願いは叶えられた。
 ところが、雄一郎は穂高が思っていた以上に世俗に疎かった。未婚の娘からの床親指名が婚姻の申し込みに等しいことを知らぬまま床入儀を終えると、雄一郎は訪れた新堂家の使いの者に穂高を託して家に帰してしまった。傷ついた穂高は、途中で使いの者をまいて姿をくらました。ひとり帰った使いの者から事の顛末を聞いた少太郎は、娘と家を侮辱されたと激怒し、雄一郎を討ち果たすべく、妻の(ゆみ)を伴って、ひとつ山に向かった。

 一方、雄一郎は友人の東海林(とうかいりん)輝之(てるゆき)から床親指名の真意を聞かされ凍りついた。取り返しのつかない過ちを犯したことを知った雄一郎は、命をもって償うしかないと切腹しようとするが、そこに殺気立った穂高の両親が現れ、死ぬ前に娘を返せと刃を向けた。家に帰ったとばかり思っていた穂高が失踪したと聞いて、雄一郎は自宅を隅々まで探すが穂高は見つからない。
 その時、穂高と初めて出会った日のことが雄一郎の脳裏に浮かんだ。雄一郎は駆り立てられるように走り出した。

No.27  伊賀隠レ里異聞小説本文


服部雄一郎の過怠・序


 伊賀の里には、そこで生きる者たちが大人になる為に通らねばならない関門がある。それは、この里が隠里(かくれざと)となった古より連綿と続く通過儀礼である。


 天正九年(一五八一年)、第二次天正伊賀の乱を生き延びた伊賀忍者たちの一部は、秘密の抜け穴を通ってかくれ谷へ逃れ、外部へ繋がる道を閉ざして里を作った。以後四〇〇年にも及ぶ長い時の中、彼らだけで子孫を残していくために、それは必要不可欠な教えだった。
 その教えとは、男が妻を、女が夫を迎え、子を産み育てるために必要な知識、「男女の心身とその和合の教え」である。


 隠里の男子たちは、数え十五の年に男衆の集まりと呼ばれる集会に参加し、同性の年長者を師に迎えて自身と異性の心身についての教えを受ける。同じように女子はくノ一衆の集まりと呼ばれる集会で、数え十三の年に自身の、十六の年に異性についての教えを受ける。男衆の集まりを経た男子は、その後それぞれが成人女性に導かれて男となり、十六のくノ一衆の集まりを経た女子は床入儀(とこいりのぎ)を行い、ようやく一人前の男女として婚姻を許されるのだった。

 床入儀とは、十六のくノ一衆の集まりを終えた娘を成人男性が数日預かり、寝食を共にしながら夜の営みを教え、大人の女に導く儀式のことである。それを担う成人男性のことを床親(とこおや)、契約を結んだ娘を床娘(とこむすめ)と呼び、二人は擬似夫婦関係となる。通常、床親になるのは村の権力者や神職者、親戚筋の既婚男性だが、娘側から相手を指定することも出来、男が未婚の場合は床親からそのまま夫となることも多かった。


 こうして、伊賀隠里では親から子へ、子から孫へ、忍びの術と生きる教えが受け継がれ、外の世界とは全く異なる時間が、ただゆっくりと流れていった。

No.26  伊賀隠レ里異聞小説本文