No.44
新堂家の憂鬱・五
まるで昨日のことのように淀みなく一気に話し終えると、穂高はほうと息をついた。
「それで、結局どうなったの?」
すっかり娘の話に引き込まれた弓は続きをせっついた。母が驚きと興味の混じった眼差しで自分を見つめてると分かると穂高はにっこり笑った。
「それでね、雄一郎さんは今は週に三日、道場に稽古をつけに通ってるの。そして三日目の帰りにお屋敷に寄って、皆で一緒に夕餉を食べるのよ。そこで稽古の進み具合がどうだったとか、私が今週覚えたことなんかを話し合うの。今日はその三日目なのよ、そして半年を節目に、母上に私達のことを見てもらおうってわけなの!」
穂高は満面に喜色を湛えて答えた。それとほぼ同時に暮れ六つの鐘が鳴った。
「ああ、もうすぐ雄一郎さんが来るわ! 母上、私、夕餉の支度をして来ますから、どうぞゆっくりしていらして!」
恋しい人の訪れが待ち遠しくて、とてもじっとしていられないとでも言うように、穂高は浮足立って部屋を出て行った。
一人客間に残された弓は、今聞いた信じられない話を頭の中で反芻した。
(つまり、穂高はあれからずっとこの服部様のお屋敷で、行儀見習いをしながら修業に励んでいて、『外れの雄蔵』と呼ばれていたあの男は、忍者道場の指南役を任されて、週に三日も村に通っている? これまでは年に三日も顔を見せればましな方だったあの男が。私たちはてっきり、娘はあの男の家で自堕落な暮らしに身をやつしているとばかり思っていたのに、同衾どころかひとつ屋根の下でさえなく、週に一度、夕餉の時間だけの短い逢瀬を待ち焦がれるような生活を、もう半年も続けていただなんて、とても信じられない。私は夢を見ているのではないのかしら……)
弓が眉間に皺を寄せて煩悶していると、音もなく襖戸が開いて春が現れた。
「新堂の奥様、本日は突然にお呼び立てして、誠に申し訳ございません。夕餉の支度が出来ましたから、どうぞこちらへ」
弓は思案に耽っていたところへ、服部家当主の奥方が現れたので驚いて、あたふたと居住まいを正すと
「滅相もございません、私どもこそ娘がお世話になっているとも知らず、ご挨拶にも参りませんで、とんだご無礼を……」
と額ずいた。春はニコニコとして
「まあまあ、固い挨拶は抜きにして、どうぞこちらへ。雄一郎も間もなく戻りますから」
と、弓を奥座敷へ案内した。座敷の入口で待っていた穂高が、弓を上座の前に通したので弓は更に慌てた。
「ええっ? 駄目よ穂高、私……」
と狼狽する弓を穂高がなだめた
「いいのよ、母上は今日はお客様なんだから。さあ座って」
穂高はオロオロする弓を座らせると、自分はそこから一人分置いたところに着座した。
弓の向かいには大蔵が、その右隣に春が、ひとつ置いて入口を背にして陣蔵が座っていた。弓は、本来なら夫の少太郎が座るべき場所に自分がいることを恥ずかしく思った。しかし少太郎はあの通りである。
(ならば私がしっかりしなければ……)
腹を括った弓が改めて挨拶しようと指を揃えたとき、
「只今戻りました」
と、玄関から声がした。
その声が聞こえるや否や、穂高はまるで兎が跳ねるように部屋を飛び出し、声の主を迎えた。
「おかえりなさい、雄一郎さん!」
柿渋色の半着と伊賀袴姿の雄一郎は、穂高がいつにもまして嬉しそうなのを見て、はて、今日はなんか祝いごとでもあったのかと首を傾げた。しかし、いつもの居間ではなく奥座敷に向かっているのに気づくとハッとして背筋を伸ばした。
それからの夕餉はささやかながら今までになく和やかで楽しいものとなった。穂高が行儀見習いとして屋敷で働く傍ら、陣蔵の素読や手習いを教えていることも、雄一郎の忍者道場での真面目な働きぶりも、弓には初めて聞くことばかりだった。
No.44
2015.5.4
伊賀隠レ里異聞
|
小説
|
本文
43
|
45
はじめに
1
伊賀隠レ里異聞
117
小説
21
本文
18
SHINOBINO LABO
22
キャラクター設定集
17
美術設定集
3
イラスト集
1
NIJI×NIJI
28
日高氏がやって来た!の巻
7
ヒトツヤマ・イン・トーキョー
1
なんかいろいろ
15
前世紀の遺物
2
風の音にぞ
2
邪鬼賀大戦
12
グリンの星
5
ハイスクール!
26
カスタムキャスト!
61
ムービー
21
サウンド
3
まるで昨日のことのように淀みなく一気に話し終えると、穂高はほうと息をついた。
「それで、結局どうなったの?」
すっかり娘の話に引き込まれた弓は続きをせっついた。母が驚きと興味の混じった眼差しで自分を見つめてると分かると穂高はにっこり笑った。
「それでね、雄一郎さんは今は週に三日、道場に稽古をつけに通ってるの。そして三日目の帰りにお屋敷に寄って、皆で一緒に夕餉を食べるのよ。そこで稽古の進み具合がどうだったとか、私が今週覚えたことなんかを話し合うの。今日はその三日目なのよ、そして半年を節目に、母上に私達のことを見てもらおうってわけなの!」
穂高は満面に喜色を湛えて答えた。それとほぼ同時に暮れ六つの鐘が鳴った。
「ああ、もうすぐ雄一郎さんが来るわ! 母上、私、夕餉の支度をして来ますから、どうぞゆっくりしていらして!」
恋しい人の訪れが待ち遠しくて、とてもじっとしていられないとでも言うように、穂高は浮足立って部屋を出て行った。
一人客間に残された弓は、今聞いた信じられない話を頭の中で反芻した。
(つまり、穂高はあれからずっとこの服部様のお屋敷で、行儀見習いをしながら修業に励んでいて、『外れの雄蔵』と呼ばれていたあの男は、忍者道場の指南役を任されて、週に三日も村に通っている? これまでは年に三日も顔を見せればましな方だったあの男が。私たちはてっきり、娘はあの男の家で自堕落な暮らしに身をやつしているとばかり思っていたのに、同衾どころかひとつ屋根の下でさえなく、週に一度、夕餉の時間だけの短い逢瀬を待ち焦がれるような生活を、もう半年も続けていただなんて、とても信じられない。私は夢を見ているのではないのかしら……)
弓が眉間に皺を寄せて煩悶していると、音もなく襖戸が開いて春が現れた。
「新堂の奥様、本日は突然にお呼び立てして、誠に申し訳ございません。夕餉の支度が出来ましたから、どうぞこちらへ」
弓は思案に耽っていたところへ、服部家当主の奥方が現れたので驚いて、あたふたと居住まいを正すと
「滅相もございません、私どもこそ娘がお世話になっているとも知らず、ご挨拶にも参りませんで、とんだご無礼を……」
と額ずいた。春はニコニコとして
「まあまあ、固い挨拶は抜きにして、どうぞこちらへ。雄一郎も間もなく戻りますから」
と、弓を奥座敷へ案内した。座敷の入口で待っていた穂高が、弓を上座の前に通したので弓は更に慌てた。
「ええっ? 駄目よ穂高、私……」
と狼狽する弓を穂高がなだめた
「いいのよ、母上は今日はお客様なんだから。さあ座って」
穂高はオロオロする弓を座らせると、自分はそこから一人分置いたところに着座した。
弓の向かいには大蔵が、その右隣に春が、ひとつ置いて入口を背にして陣蔵が座っていた。弓は、本来なら夫の少太郎が座るべき場所に自分がいることを恥ずかしく思った。しかし少太郎はあの通りである。
(ならば私がしっかりしなければ……)
腹を括った弓が改めて挨拶しようと指を揃えたとき、
「只今戻りました」
と、玄関から声がした。
その声が聞こえるや否や、穂高はまるで兎が跳ねるように部屋を飛び出し、声の主を迎えた。
「おかえりなさい、雄一郎さん!」
柿渋色の半着と伊賀袴姿の雄一郎は、穂高がいつにもまして嬉しそうなのを見て、はて、今日はなんか祝いごとでもあったのかと首を傾げた。しかし、いつもの居間ではなく奥座敷に向かっているのに気づくとハッとして背筋を伸ばした。
それからの夕餉はささやかながら今までになく和やかで楽しいものとなった。穂高が行儀見習いとして屋敷で働く傍ら、陣蔵の素読や手習いを教えていることも、雄一郎の忍者道場での真面目な働きぶりも、弓には初めて聞くことばかりだった。