No.29
服部雄一郎の過怠・三
床親になってほしい。雄一郎にそう告げた穂高は、顔こそ平静を装っていたが、口の中は緊張でからからに乾いていた。
くノ一衆の集まりを終えて、両親は自分を嫁がせる準備にいよいよ本腰を入れ始めた。嫁入り修業を始めた穂高が、簡単な単衣から複雑な袷も仕立てられるようになる頃には、見合いの申し込みは山となり、床入儀は誰に任せようかという話しも聞こえてくるようになった。
そんな話が噂になっているのか、外を歩くと時折チラチラと、或いはあからさまに、品定めでもするように自分を見ている男たちがいるのが堪らなく嫌だった。友人の中には床入儀を済ませた者や、嫁ぎ先の決まった者も出てきた。遅かれ早かれ自分もそうやって女になっていくのだろう。頭では理解しても、心の奥底では納得出来ずにいた。
床入儀は、十三詣り、十六のくノ一衆の集まりを経た里の娘たちが、女になるための最後の儀式だ。親類筋の既婚男性か村の有力者が床親となり、褥を重ねて女となるのだ。床親は床娘の後見人となり、他家へ嫁いだ後も長く面倒を見てくれる大切な存在だ。家柄は勿論、人柄も重要とされる。既婚の男なら誰でも良いというものではないことも、くノ一衆の集まりで習って知っていた。それでも……と、穂高は思っていた。
そんなある日、見合い相手の釣書状を品定めしていた父親が、
「どの男も帯に短し襷に長しだな」
と、こぼした。
「我が新堂家の娘ともなれば、中忍程度の家には出せぬ。やはり上忍級の家でなければ」
父親の家名への拘りを、穂高は冷めた目で見ていた。
(家名なんて、この狭い里の中でしか通用しないものなのに。それに、新堂家は今でこそ名のある家だけれど、元は下忍の出。偉大なご先祖を誇りに思う気持ちは分かるけど、父上は虚栄心が強すぎる……)
穂高はそう思っていた。
「来年には服部の嫡男が十五になるな。いっそのこと、それまで花嫁修業に専念させるか」
服部の名を耳にして穂高はカッとした。
「陣蔵さんは三つも年下だわ!」
本当は年の差など関係なかった。姉さん女房を貰って幸せに暮らしてる人も多い。だが服部と言っても私が好きなのは……
「私、雄一郎さんがいい……」
うっかり口を滑らせ、穂高はしまったと思った。案の定、父は激怒した。
「あんな、弟に家督を取られた出来損ないが良いだと? 正気か
!?
あんな外れを床親にしてみろ、新堂の一人娘はとんだ物好きだと笑い者にされるわ!」
吐き捨てるようにそう言うと、父は手にした釣書状をぶちまけた。知りもしないでよくもそんな酷いことを、と穂高は思った。しかし母にまで
「あの方はもう二十五だというのに、未だ嫁を貰う気配さえないのよ。肺病持ちとも聞くし、殿方として問題があるのではないかしら、そんな人に責任の重い床親が務まるとは思えないわ」
と反対され、穂高は落胆した。しかし、どうしても合点がいかなかった。
(あんなに逞しい方が今も肺を病んでいるとは思えない。父も母も村の衆も、誰も雄一郎さんの本当の姿を知らないんだわ。でも、ひとりくらい知ってる人がいるはずよ……)
穂高は焦燥感に駆られていた。
No.29
2015.5.3
伊賀隠レ里異聞
|
小説
|
本文
28
|
30
はじめに
1
伊賀隠レ里異聞
117
小説
21
本文
18
SHINOBINO LABO
22
キャラクター設定集
17
美術設定集
3
イラスト集
1
NIJI×NIJI
28
日高氏がやって来た!の巻
7
ヒトツヤマ・イン・トーキョー
1
なんかいろいろ
15
前世紀の遺物
2
風の音にぞ
2
邪鬼賀大戦
12
グリンの星
5
ハイスクール!
26
カスタムキャスト!
61
ムービー
21
サウンド
3
床親になってほしい。雄一郎にそう告げた穂高は、顔こそ平静を装っていたが、口の中は緊張でからからに乾いていた。
くノ一衆の集まりを終えて、両親は自分を嫁がせる準備にいよいよ本腰を入れ始めた。嫁入り修業を始めた穂高が、簡単な単衣から複雑な袷も仕立てられるようになる頃には、見合いの申し込みは山となり、床入儀は誰に任せようかという話しも聞こえてくるようになった。
そんな話が噂になっているのか、外を歩くと時折チラチラと、或いはあからさまに、品定めでもするように自分を見ている男たちがいるのが堪らなく嫌だった。友人の中には床入儀を済ませた者や、嫁ぎ先の決まった者も出てきた。遅かれ早かれ自分もそうやって女になっていくのだろう。頭では理解しても、心の奥底では納得出来ずにいた。
床入儀は、十三詣り、十六のくノ一衆の集まりを経た里の娘たちが、女になるための最後の儀式だ。親類筋の既婚男性か村の有力者が床親となり、褥を重ねて女となるのだ。床親は床娘の後見人となり、他家へ嫁いだ後も長く面倒を見てくれる大切な存在だ。家柄は勿論、人柄も重要とされる。既婚の男なら誰でも良いというものではないことも、くノ一衆の集まりで習って知っていた。それでも……と、穂高は思っていた。
そんなある日、見合い相手の釣書状を品定めしていた父親が、
「どの男も帯に短し襷に長しだな」
と、こぼした。
「我が新堂家の娘ともなれば、中忍程度の家には出せぬ。やはり上忍級の家でなければ」
父親の家名への拘りを、穂高は冷めた目で見ていた。
(家名なんて、この狭い里の中でしか通用しないものなのに。それに、新堂家は今でこそ名のある家だけれど、元は下忍の出。偉大なご先祖を誇りに思う気持ちは分かるけど、父上は虚栄心が強すぎる……)
穂高はそう思っていた。
「来年には服部の嫡男が十五になるな。いっそのこと、それまで花嫁修業に専念させるか」
服部の名を耳にして穂高はカッとした。
「陣蔵さんは三つも年下だわ!」
本当は年の差など関係なかった。姉さん女房を貰って幸せに暮らしてる人も多い。だが服部と言っても私が好きなのは……
「私、雄一郎さんがいい……」
うっかり口を滑らせ、穂高はしまったと思った。案の定、父は激怒した。
「あんな、弟に家督を取られた出来損ないが良いだと? 正気か!? あんな外れを床親にしてみろ、新堂の一人娘はとんだ物好きだと笑い者にされるわ!」
吐き捨てるようにそう言うと、父は手にした釣書状をぶちまけた。知りもしないでよくもそんな酷いことを、と穂高は思った。しかし母にまで
「あの方はもう二十五だというのに、未だ嫁を貰う気配さえないのよ。肺病持ちとも聞くし、殿方として問題があるのではないかしら、そんな人に責任の重い床親が務まるとは思えないわ」
と反対され、穂高は落胆した。しかし、どうしても合点がいかなかった。
(あんなに逞しい方が今も肺を病んでいるとは思えない。父も母も村の衆も、誰も雄一郎さんの本当の姿を知らないんだわ。でも、ひとりくらい知ってる人がいるはずよ……)
穂高は焦燥感に駆られていた。