服部雄一郎の過怠・三
床親になってほしい。雄一郎にそう告げた穂高は、顔こそ平静を装っていたが、口の中は緊張でからからに乾いていた。
くノ一衆の集まりを終えて、両親は自分を嫁がせる準備にいよいよ本腰を入れ始めた。嫁入り修業を始めた穂高が、簡単な単衣から複雑な袷も仕立てられるようになる頃には、見合いの申し込みは山となり、床入儀は誰に任せようかという話しも聞こえてくるようになった。
そんな話が噂になっているのか、外を歩くと時折チラチラと、或いはあからさまに、品定めでもするように自分を見ている男たちがいるのが堪らなく嫌だった。友人の中には床入儀を済ませた者や、嫁ぎ先の決まった者も出てきた。遅かれ早かれ自分もそうやって女になっていくのだろう。頭では理解しても、心の奥底では納得出来ずにいた。
床入儀は、十三詣り、十六のくノ一衆の集まりを経た里の娘たちが、女になるための最後の儀式だ。親類筋の既婚男性か村の有力者が床親となり、褥を重ねて女となるのだ。床親は床娘の後見人となり、他家へ嫁いだ後も長く面倒を見てくれる大切な存在だ。家柄は勿論、人柄も重要とされる。既婚の男なら誰でも良いというものではないことも、くノ一衆の集まりで習って知っていた。それでも……と、穂高は思っていた。
そんなある日、見合い相手の釣書状を品定めしていた父親が、
「どの男も帯に短し襷に長しだな」
と、こぼした。
「我が新堂家の娘ともなれば、中忍程度の家には出せぬ。やはり上忍級の家でなければ」
父親の家名への拘りを、穂高は冷めた目で見ていた。
(家名なんて、この狭い里の中でしか通用しないものなのに。それに、新堂家は今でこそ名のある家だけれど、元は下忍の出。偉大なご先祖を誇りに思う気持ちは分かるけど、父上は虚栄心が強すぎる……)
穂高はそう思っていた。
「来年には服部の嫡男が十五になるな。いっそのこと、それまで花嫁修業に専念させるか」
服部の名を耳にして穂高はカッとした。
「陣蔵さんは三つも年下だわ!」
本当は年の差など関係なかった。姉さん女房を貰って幸せに暮らしてる人も多い。だが服部と言っても私が好きなのは……
「私、雄一郎さんがいい……」
うっかり口を滑らせ、穂高はしまったと思った。案の定、父は激怒した。
「あんな、弟に家督を取られた出来損ないが良いだと? 正気か!? あんな外れを床親にしてみろ、新堂の一人娘はとんだ物好きだと笑い者にされるわ!」
吐き捨てるようにそう言うと、父は手にした釣書状をぶちまけた。知りもしないでよくもそんな酷いことを、と穂高は思った。しかし母にまで
「あの方はもう二十五だというのに、未だ嫁を貰う気配さえないのよ。肺病持ちとも聞くし、殿方として問題があるのではないかしら、そんな人に責任の重い床親が務まるとは思えないわ」
と反対され、穂高は落胆した。しかし、どうしても合点がいかなかった。
(あんなに逞しい方が今も肺を病んでいるとは思えない。父も母も村の衆も、誰も雄一郎さんの本当の姿を知らないんだわ。でも、ひとりくらい知ってる人がいるはずよ……)
穂高は焦燥感に駆られていた。
服部雄一郎の過怠・二
その頃、穂高は二人の出会いの場所で独り涙に暮れていた。
一年前、十六歳のくノ一衆の集まりを直前に控えて穂高は悩んでいた。その集まりの日をもって、くノ一の修業は終わり、妻として、母として、女としての修業が始まることに、穂高は違和を感じていた。しかし周囲の女達に訊いても納得のいく答えは得られなかった。
仕方なく独りで考えようと、穂高は村の者も滅多に近づかない「おづの山」に入った。すると、山間から幽かに刃が打ち合うような音がした。その音に誘われるように、穂高が峡谷の奥へ奥へと進んでいくと、そこに一日の修業を終えて滝に打たれている雄一郎がいたのだった。
突然目の前に褌ひとつの男が現れたので、穂高は驚きの余り泣き叫んでしまった。だが、男はそんな穂高に半ば呆れながらも、親切に村境まで送り届けてくれた。途中で足を滑らせた時も軽々と抱きとめて助けてくれたのに、一言の礼も言ってないと気づいて穂高が振り向いた時には、もうそこに男の姿はなかった。
村に帰って探ると、すぐに男が服部家の長男の雄蔵だということが分かった。翌日、穂高は雄蔵に昨日のお礼を言おうと峡谷に押しかけたが、こんなところに女子供がひとりで来るなと叱られ追い返されてしまった。しかし、その時、自分の名は雄蔵ではなく雄一郎だと教えてくれた。それから穂高の胸の内で、雄一郎の存在が日に日に大きくなっていった。
突然現れた娘はまだ十六で、陣蔵と大差ない子供じゃないかと雄一郎は思っていた。こんなところにお前のような娘がひとりで来るもんじゃないと言っては追い返していたが、それでもちょくちょく顔を見せに来る穂高を、雄一郎も次第に心憎からず思うようになっていった。しかし、褌姿に興奮して癇癪を起こすようではまだまだ子供だ。男衆や、くノ一衆の集まりには意味があるのだな、などと思ったりもした。
そんな小娘が、外れ者の自分を床親にしたいなど、親が反対するのは当然で、もし俺がお前の親でも同じことを言うと叱りつけた日もあった。だが、なんやかんやと丸め込まれて引き受けてしまった。引き受けたからには大人としてきちんと務めを果たさねばならぬ。儀式が終われば穂高は誰かの元へ嫁ぐのだろう。そうなればもう顔を合わせることもなくなる。寂しくないと言えば嘘になるが、元の静かな生活に戻るだけだ――
穂高とのそう多くもない思い出を振り返るうちに、雄一郎は、ゆうべ穂高に名前を呼ばれて激しく動揺したのは、床親の義務を果たしているだけのつもりでいた自分が、心の底では穂高を愛おしく思い、自分も穂高にそう思われたいと願っていたからだと気がついた。穂高を帰した後も穂高の声が耳から離れず、心は千々に乱れ、強烈な思慕の念が募るのを、抱いた女への未練だと誤魔化して、日常に戻らねばと友人の元を訪ねたが、そこで穂高の真意を知らされ愕然とした。自分の愚かさが心底情けなかった。しかし穂高が家に帰っていないと聞いた瞬間、一も二もなく駆け出していた。
(探さねば、見つけねば、もうこの手に抱くことは二度と叶わぬ望みだとしても、己の心を伝えねば。だから穂高、早まらないでいてくれ――)
雄一郎は心の中で穂高の名を祈るように呼び続けた。
服部雄一郎の過怠・一
「私の床親になってください」
桃の花もちらほらと咲き始めたある日、服部雄一郎は、新堂家のひとり娘、穂高から床親になってほしいと申し込まれた。
雄一郎は、即座にその申入れを断った。雄一郎は今年で数え二十五歳である。十八で男になった日から既に七年もの歳月が経つが、それからただ一人の女も抱いていない。手ほどきをしてくれた女からは、男として申し分なしとお墨付きをもらってはいたが、他人と、まして女と深く関わりあうのは御免だと、雄一郎は思っていた。
頑として首を縦に振らない雄一郎を、穂高は請い、願い、訴え、挑発し、知りうる限りの言葉を尽くして説き伏せると、強引に床親を引き受けさせた。それは思い詰めに詰め、悩みに悩んだ果てに穂高がとった、一世一代の賭けだった。
新堂家は、かつて伊賀忍術名人十一人の一人と言われた新堂小太郎を祖に持つ古い家柄である。穂高の父親の新堂少太郎はこの祖先を誰よりも誇りに思い、何より家名を重んじる男だった。そんな少太郎にとって、雄一郎は、服部とは名ばかりの落ちこぼれで、村の者にも『外れの雄蔵』などと渾名される半端者でしかなかった。
そんなところに我が新堂家の娘を預けるのはまかりならんと気色ばむ父親に、穂高は雄一郎からの承諾は得ているのに、今更こちらから翻意するなど、我が家のみならず服部家にも恥をかかせることになるが、それでも良いのかなどと脅しすかして、渋々許諾を得たのだった。
穂高は以前から、密かに雄一郎に想いを寄せていた。村に属せず、村外れの「ひとつ山」に独りで暮らす雄一郎は、村人からは忍びとしても男としても役立たずと揶揄されていたが、自分の知っている雄一郎は、そんな無能者だとはとても思えなかった。だが周囲を説得している時間がなかった。両親がいつ自分を床娘に出すか分からない、だから決死の覚悟で床親になってほしいと申し込んだのだった。そしてその願いは叶えられた。
ところが、雄一郎は穂高が思っていた以上に世俗に疎かった。未婚の娘からの床親指名が婚姻の申し込みに等しいことを知らぬまま床入儀を終えると、雄一郎は訪れた新堂家の使いの者に穂高を託して家に帰してしまった。傷ついた穂高は、途中で使いの者をまいて姿をくらました。ひとり帰った使いの者から事の顛末を聞いた少太郎は、娘と家を侮辱されたと激怒し、雄一郎を討ち果たすべく、妻の弓を伴って、ひとつ山に向かった。
一方、雄一郎は友人の東海林輝之から床親指名の真意を聞かされ凍りついた。取り返しのつかない過ちを犯したことを知った雄一郎は、命をもって償うしかないと切腹しようとするが、そこに殺気立った穂高の両親が現れ、死ぬ前に娘を返せと刃を向けた。家に帰ったとばかり思っていた穂高が失踪したと聞いて、雄一郎は自宅を隅々まで探すが穂高は見つからない。
その時、穂高と初めて出会った日のことが雄一郎の脳裏に浮かんだ。雄一郎は駆り立てられるように走り出した。
服部雄一郎の過怠・序
伊賀の里には、そこで生きる者たちが大人になる為に通らねばならない関門がある。それは、この里が隠里となった古より連綿と続く通過儀礼である。
天正九年(一五八一年)、第二次天正伊賀の乱を生き延びた伊賀忍者たちの一部は、秘密の抜け穴を通ってかくれ谷へ逃れ、外部へ繋がる道を閉ざして里を作った。以後四〇〇年にも及ぶ長い時の中、彼らだけで子孫を残していくために、それは必要不可欠な教えだった。
その教えとは、男が妻を、女が夫を迎え、子を産み育てるために必要な知識、「男女の心身とその和合の教え」である。
隠里の男子たちは、数え十五の年に男衆の集まりと呼ばれる集会に参加し、同性の年長者を師に迎えて自身と異性の心身についての教えを受ける。同じように女子はくノ一衆の集まりと呼ばれる集会で、数え十三の年に自身の、十六の年に異性についての教えを受ける。男衆の集まりを経た男子は、その後それぞれが成人女性に導かれて男となり、十六のくノ一衆の集まりを経た女子は床入儀を行い、ようやく一人前の男女として婚姻を許されるのだった。
床入儀とは、十六のくノ一衆の集まりを終えた娘を成人男性が数日預かり、寝食を共にしながら夜の営みを教え、大人の女に導く儀式のことである。それを担う成人男性のことを床親、契約を結んだ娘を床娘と呼び、二人は擬似夫婦関係となる。通常、床親になるのは村の権力者や神職者、親戚筋の既婚男性だが、娘側から相手を指定することも出来、男が未婚の場合は床親からそのまま夫となることも多かった。
こうして、伊賀隠里では親から子へ、子から孫へ、忍びの術と生きる教えが受け継がれ、外の世界とは全く異なる時間が、ただゆっくりと流れていった。
「兄者……いえ、兄の肺病はとうの昔に治っています。今、兄の側に行っても、風邪の一つも貰えやしないでしょう」
雄一郎をよく知る者の話が聞きたいと言って、忍者道場に自分を訪ねてきた穂高に、弟の服部陣蔵は力強く答えた。兄の話を聞きにくる者はたまにいるが、その殆どは冷やかしだった。でも、この人は違うようだ。そう思った陣蔵は、母に聞いた雄一郎の生い立ちを、穂高に話しはじめた。
雄一郎は元の名を雄蔵と言い、陣蔵とは十一違いの異母兄だった。
雄蔵の母・志乃は、雄蔵が三つの時に肺病を患い、夫の大蔵が村外れのひとつ山に建てた屋敷に隔離された。伊賀の里で肺病は不治の病で、村に感染者が拡がるのを防ぐためには、それしか方法がなかったのだ。
志乃は雄蔵が五つの時に亡くなった。しかし今度は雄蔵に肺病の兆候が現れた。大蔵はこの伊賀の里の長として、幼い雄蔵を独り、ひとつ山に住まわせざるを得なかった。
――この時、病に伏せった志乃や雄蔵の面倒を見ていたのが、後の服部春である。雄蔵は、母と自分は捨てられたのだと父を恨んでいたが、春に対しては素直に好意を寄せていた――
幸いにして雄蔵の病状は軽く、一年後には治癒に至った。だが、雄蔵は村に戻ることを拒んだ。父を思い出す「蔵」の文字を嫌い、雄一郎と名前を変え、以来ずっと独りでひとつ山に住んでいるのだった。
志乃の三回忌が済むと、大蔵は春を後妻として迎えた。その五年後に陣蔵が生まれた。雄一郎は数え十二歳になっていた。歳の離れた弟を雄一郎はとても可愛がった。だが、かつての病への不安から、余り側へ近寄らせようとはしなかった。
「兄は確かに強情でへそ曲りですが、根は真面目で優しい男です。けれども、兄は父を許さず、村の者とも決して交じり合おうとはしません。それは、この里で生きながらにして死んでいるようなものです」
陣蔵の言葉には兄への敬愛とその孤独を案ずる気持ちが感じられた。この人になら本音を話せると穂高は思った。
「私は、雄一郎さんに床親になってもらいたいと考えています。いえ、本当は……私、あの人と一緒になりたいんです」
床親と聞いて陣蔵は首まで真赤になった。
雄一郎のことで陣蔵と意気投合した穂高は、二人で策を練り、家名に拘る父親には服部家の名を、真面目な雄一郎には親の面目を出しにして床親の契約を結ばせようと企んだのだった。けれども、そんな浅はかな策略で得たものはなんだったろうか。愛する人と両親を欺いた結果がこの様だ。床親が床娘に未練がましく付きまとって揉めることも珍しくないのに、雄一郎は最後まで誠実だった。そして儀式が終わると情に溺れることなく自分を家に帰した。それだけに、結ばれてしまえば何とかなると考えた自分の浅ましさが恥ずかしく、惨めだった。
(私は間違っていた。例え一生結ばれなくても、真っ直ぐに想いを告げるべきだった。でももう遅い、両親は家名に泥を塗った私を許さないだろうし、雄一郎さんは床親の義理を守り通すため、二度と私の前に姿を現すことはないだろう。なにもかも終わりだわ……)
絶望で目の前が真っ暗になった。